公演案内【公演記録】


第2回鳥取県総合芸術文化祭

オペラ ポラーノの広場

2004年10月24日(日)14:00開演
鳥取県民文化会館梨花ホール

・ストーリー
(2002年初公演パンフレットより抜粋 PDF:4.63MB)


・スタッフ&キャスト紹介
(パンフレットより抜粋 PDF:878KB)





動画

画像


  《ポラーノの広場》』の評価について

                                            岸 純信(オペラ研究家)


 はじめに

 平成16年10月24日(日)、午後2時より鳥取県民文化会館梨花ホールにて開催されたオペラ《ポラーノの広場》には、児童から高年齢者まで非常に幅広い層が客席に集い、公演への関心と、集客面での盛況ぶりを如実に表していた。

 筆者は今回、初めて本作の上演に接したが、楽曲そのものが示す高い音楽性(作曲:新倉健)と、ドラマの内容を緻密に追った、緑色を基調とする色彩感豊かな舞台(台本・演出:中村敬一)とともに、ソリストたちの優れた歌唱と演技力、合唱団(ポラーノ合唱団)の緊密なアンサンブルと管弦楽団(ミンクス室内オーケストラ)の安定した演奏といった諸要素が総合的に力を発揮し、日本語オペラの分野において、近来稀に見るほどの傑出した上演であったと感じた。その旨を、冒頭で率直に記しておきたい。

 内容について

 本作《ポラーノの広場》は三幕立ての構成の歌劇である。第一幕では、冒頭に11小節分の序奏部が置かれてから主人公のキューストが登場、メロドラム【管弦楽の演奏に載せて台詞を語る形式】のスタイルで物語の枠取りを語ってから、混声合唱が旋律色豊かな曲〈すき通った風〉を歌ってドラマへと誘い込む。その後、18小節の間奏部を経てキューストの朗唱〈逃げたヤギ〉が始まるが、これらの冒頭部ですでに、メロドラム、メロディアスな歌、朗唱部と次々と展開するなかで、それぞれの繋げ方が非常に円滑であることにまず気付かされた。私見では、これまでの日本語オペラにおいては、往々にして歌謡性の強い部分と台詞的な部分が乖離しがちであり、そこに生じる一瞬の隙間が音楽劇としての興趣を削いでしまう結果が少なからず生じていたが、本作では、全編を通じてそのような弱点が全く見られなかったことに大きな驚きを覚えた次第である。ここではまた、キュースト役(吉田章一)の明晰な日本語の歌唱力が、観客を一気にオペラの世界に引き込むための動力として、十全に機能していた点も高く評価したい。

 続いて、第一幕の後半に現れる決闘のシーンでは、合唱とソリストによる喧騒のなかで山猫博士(西岡千秋)の朗唱が表現力豊かに響き、彼に対峙する給仕(北村保史)の淡々とした個性とは対照的に、敵役としての存在感を強く打ち出していた。また、続くキューストとファゼーロ(野津美和子)二人の自省的な心情の吐露も、それぞれの個性の対比が鮮明に表されていたほか、抒情的な管弦楽の後奏を締め括る低弦のピツィカートの一音も、詩情を豊かに漂わせて効果的であったと思う。

 第二幕では、音楽がさらに緻密さを増した。ロザーロ(尾前加寿子)の悲痛なソロ〈夜の湿気と風が〉が旋律色を強く打ち出して、オペラの聴きどころとしての力を雄弁に発揮し、キューストと巡査(加藤耕一)の対話では、心を失わぬ人間たる存在と、強権的な社会の中でロボット化した一つの歯車との距離感が表出する。ちなみに、ここでの巡査役の歌唱と演技は、むらなくよく響く発声が、巧妙な歌いまわしとともに非人間的な表現へと上手く活かされていた旨を特筆しておきたい。巡査の歌の表現力は、続く場面での四重唱〈ファゼーロがいない〉でも顕著であり、ロザーロ、キュースト、テーモ(山田康之)の三人の人間味溢れる演唱との対比で、演劇的にも傑出した場の一つとして、非常に見ごたえあるものだった。また、この幕でしばしば登場する銃剣先生(プログラム上では農夫:松本厚志)の号令も、余情を保ちつつ場面を上手く転換させる機能を果たしていた。

 次に、緩徐楽章的に奏された「床屋の場面」について詳説したい。五名のソリストたちの会話的な歌が飛び交うこの情景では、その極めて高い音楽的な精度が何よりも印象的であったが、中でも〈床屋の三重唱〉が示した総合芸術としての表現力には、心からの讃辞を呈したい。ここでは、床屋の親方(小椋美香子)、床屋の職人@(山尾純子)、床屋の職人A(塩崎めぐみ)の三名の明確な声の個性がドラマの表現に大きく寄与し、各自の短くきびきびしたフレーズの積み重ねの中で、宮沢賢治の文体が醸し出す詩情が音楽の中に端的に浮かび上がっていた。その具体的な一例としては、「ちょきちょき」「サクサク」という擬音語の繰り返しが、上記の三名の乱れの無いアンサンブルで歌として何度も繰り返されるとき、宮沢賢治が文字で綴った世界が、音楽によって淡色の透明感ある情景として再創造され、深い抒情性を生み出していた点を挙げておきたい。

 第三幕は、ファゼーロとキューストの再会から始まる。ここでは14小節の短い序奏部の簡潔なスタイルが効果的で、冗長さをまったく感じさせず、ドラマにすぐさま引き込む役目を果たしており、続いて歌われる二人の朗唱部も、日本語の歌詞の聴き取り易さと、歌唱表現とがどちらも充実していて、演唱者二人の実力が発揮されていた。

 続いて、ミーロ(恩田千絵)が先導して合唱団とともに歌う〈つめくさの花の終る夜は〉では、歌謡性の強い旋律が聴きどころになる一方で、その短く簡潔なまとめ方ゆえに、前後の場面が醸し出す情緒の中でも浮き上がらずにいる。この後、合唱パートが効果音的に声を響かせる中で村人たちが次々と意思表明を行う場面は、メロドラムの手法によって手堅く処理され、伴奏部にはところどころワーグナー的な響きも漂わせつつ、整然とした律動感の上で、歌から台詞そしてまた歌へとスムーズに進んで、劇的情景を盛り上げていた。

 なお、この後、現代を象徴するエピローグが生々しい演出法で呈示されたが、その一方で、独白するキューストの後ろで、回転台に乗って姿を見せる他の登場人物たちのポーズが、それぞれの衣裳(衣裳プラン:半田悦子)の雄弁な訴えかけと相俟って、活人画のように豊かな表情を見せたことで、この物語の持つ寓話的な面が美しく表出し、幕切れの豊かな余韻を導いていた。

まとめとして

 本公演、及び2002年10月の初演時のプログラムより、この20年の鳥取県のオペラ公演の状況を知るに至り、鳥取オペラ協会(音の会・鳥取オペラ研究会の歴史を含む)の着実な歩みが、《ポラーノの広場》の公演の成功に直結しているものと実感させられた。モーツァルトの作品の連続上演という布石が、本作における重唱や合唱の高い水準に結びついたことは疑うべくもないだろう。一人の主役の大活躍が全体の成功を導くように書き上げられているオペラも多いが、本作の音楽が打ち出すアンサンブル重視の方向性は、原作者の理念であった「対話」の姿勢と完全に一致しており、その点をよく理解していたソリストたちと合唱団の見事なチームワークぶりが、ミンクス室内オーケストラのプロフェッショナル・アマチュア混成メンバーとは思えないほどの安定した演奏と、全体を手堅くまとめた指揮の松岡究の牽引力とに支えられて、今回の成功をもたらしたものと思われる。

 10月24日付の産経新聞朝刊鳥取版の第26面において、本公演に関する記事が掲載されているが、その見出しの一語「県産オペラ」が示唆する通り、このオペラ《ポラーノの広場》は、まさに一つの地域だけで「消費」されるのではなく、全国至るところで鑑賞されるべきである。本作に見られる極めて今日的なテーマとその普遍性、そして優れた音楽の訴えかけは、国民的な財産として認識されるべきであろう。他県での再演が予定されていると仄聞するが、オペラに携わる立場としてそのことを心から嬉しく思うと同時に、今回の快挙を他地域への大いなる刺激とすべく、本作に関する広報活動のさらなる充実を望む次第である。

鳥取オペラ協会